久々のアーサー・C・クラークでございます。
アーサー・C・クラーク 都市と星
そのむかし、人類はいくつもの都市を築いたが、このような都市は他の類例を見ない。なかには何世紀も存続した都市もあるし、何千世紀も存続した都市もある。しかし結局は、どの都市も大いなる時に押し流され、名前さえ失ってしまう。そんななかで、ただひとつ、このダイアスパーだけが ”永遠” に挑み、みずからを護りぬき、歳月によるゆっくりした摩耗、経年変化による老朽化、錆びによる劣化などに抵抗しつづけていた。
未来の地球上の都市ダイアスパー。都市の全ての機能がドーム球場の中で完結しているイメージです。そして住民は球場の外には別の世界があることは知らず、地球上にはダイアスパー以外の世界は存在しない(その昔存在したことは知っているが)と信じてここで安心して暮らしています。すべての機能を取り仕切るのは<中央コンピュータ>と呼ばれるコンピュータ。都市のインフラ整備を始め、住民の生死にかかわることまで中央コンピュータがコントロールしています。
主人公はアルヴィンという名の若者です。彼は常々「外にも別の世界があるはずだ、外の世界が見てみたい」と考えていて、友人や教師からたしなめられながら日々を過ごしていました。しかしあるときダイアスパーを飛び出し地球上には他にも都市がある事実を知ることとなります。
知性と肉体の分離
物語の後半に肉体を持たず、知性のみで生きている種族が登場します。「肉体を持たず知性のみで生きている」ものに遭遇したことはないのでその状況は想像するしかないのですが、人工知能は「肉体はないけど知性はある」もののひとつかもしれないと思いました。
人工知能はコンピュータという物質とは切り離すことはできないけれど、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という意味での「肉体」は持ちません。今現在は人間の方が知的レベルは高くても、何十年スパンで考えれば特定の分野においては人間よりずっと高次の知能を持っているかもしれませんね。この小説は1956年発表なのでそれから60年。SF世界の出来事が着々と現実のものになりつつあることがわかります。
ダイアスパー市民の寿命はおそろしく長くて何千年・何万年も生きるのですが、その間ずっと人間のように暮らしているのではなくて、時々「眠り」と呼ばれる休息の時間を過ごします。眠っている間は精神は肉体から切り離されメモリーセルという場所に保存され、肉体は捨ててしまうようです。そして再び時が来ると<中央コンピュータ>が新しい肉体にメモリーセルから取り出した精神をセットします。人生の続きが始まるのです。
とすると、『生きている』ことの証明は、その知性が利用可能状態かどうかで判断するということでしょうか。わかったようなわからないような、難しいです。今までの知識の中だけで納得しようとするから混乱するんでしょうね。
映像を見たい
ダイアスパーに行ったことはないし、宇宙空間にも出たことがないから(あたりまえだ)今までに見たニュース映像や映画のシーンから場面場面を想像して読むわけです。そうすると頭の中で再生される映像はどうしたって既視感があるものしか登場しないので、アルヴィンが新しいものに次々と遭遇した時の感動に比べて自分の感動は薄いような感じがします。なんとなくもったいないです。
【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】- 先に原作を読んでから「あの場面はこんな風に!」といちいち場面の再現に感動しながら映画【ブレード・ランナー】を見ました。そのときのようにこの【都市と星】の映像が見たいです。誰かこの映画を映像化してくれませんかー。未知の世界を私も体験したいのです。
小説の中ではSFが一番好きです。ハヤカワ文庫ばんざい。