【読書メモ】仮説思考の本2冊

仮説思考というのは、結論を見つけるための手法のひとつで、具体的には

  1. あらかじめ結論について仮説を立てる
  2. 仮説を裏付けるためのデータを集める
  3. データ集めの過程で、仮説に無理があることが分かった時点で別の結論について仮説を立てる
  4. 新しく設定した仮説を裏付けるためのデータを集める
  5. 結論が見つかる、あるいは結論の方向性が見えるまで2~4を繰り返す

といった流れの思考・手法となります。

つまり、「とりあえずデータを手当たり次第に集め、データから読み取れる何かを探す」という網羅的手法とは対極のやりかたといえます。

仮説思考を行う目的は、なんといっても時間の短縮。網羅的な手法では、まず網羅するための時間が必要で、網羅した結果、何も答えが見つからなかったらまた最初からデータを集めなおさなければなりません。途中で方向性をミスしたことに気づいても、気づくまでに相当な時間を費やしていることもありえます。

先に結論ありきでデータを集めるなら、対象がある程度絞られてくることから、網羅的にデータを集めるのに比べて時間も手間も大幅に縮小できます。もしも途中で間違いに気付いたとしても、それまでかけてきた工数のしがらみが少ないため、身軽に方向転換が可能です。そんな仮説思考についての本を2冊読みました。

ビジネススクールで身につける仮説思考と分析力―ポケットMBA〈5〉

誰もが知っているサントリーの伊右衛門。伊右衛門のヒットを例に、仮説思考を使って人気商品を生み出す手法をわかりやすく説明してくれます。成功例だけでなく、失敗例も取り上げられています。それは、同じくサントリーから発売されたものの、すぐに市場から消えてしまったお茶のこと。売れた商品と売れなかった商品の比較をすることで、仮説思考の利点がイメージしやすいように構成されています。

仮説思考の入門編として、手に取ってみると良いと思います。

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法

先の本に比べて具体例がはるかに多く、また仮説思考のトレーニング方法も紹介されているのが特徴です。私にとっては、こちらの方が読みやすく頭に入ってくる感じでした。「読みやすさ」や「理解しやすさ」は人それぞれなので、両方比べてみるといいと思います。

この本を読みながらイメージしたのは、「長文を書くときはまず目次から書く」ことでした。結論と、結論に至る過程に登場するキーワードを最初にひとおおりピックアップしてから間を埋めていくという、長文作成の基本的なテクニックです。最初に目次に設定していたキーワードが、書き進むうちにつじつまが合わなくなる場合があります。そんなときは、全体のストーリー(後半のストーリー)を変更することになるかもしれません。

あるいは、つじつまが合わなくならないように、途中で新しく思いついたことを諦める必要があるかもしれません。どちらの対応策がベストなのかは場合によりけりですが、最初からストーリーを想定せず思いついたことから書き進めていく方法と比べれば、論理的・効率的なのは当然先に目次ありきの文書作成です。そんなことを考えながら読み終えました。


仮説思考は「思考」なので、どんなタイプの問題についても展開できそうなのですが、2冊とも「戦略的思考」についての本であり、ビジネス本なのでやはり「経営戦略」についての内容です。基本的な経営用語に慣れていない人には若干戸惑いがあるかもしれません。

【読書メモ】もうじき野球が開幕するので野球の本2冊

プロ野球の開幕が近づいてきてなんとなくそわそわする日々を過ごしています。WBCの日本ラウンドはスケジュールと放送時間が合わずほとんど見ていないのですが、それでも知人との会話の中で野球の話題が増えていることに春の到来を感じます。

オフィシャル・ベースボール・ガイド2017 (プロ野球公式記録集)


NHK-BSでやっている「球辞苑」が好きで、番組のなかで実にさまざまなこと細かなデータを調べて発表する人が出てくるんですが、ああいうタイプの仕事は自分に向いていそうだとこっそり思っているのです。そんなデータ好きにぴったりの本がこれ。

基本的には2016年の出来事と、いろんなプロ野球記録とが掲載されているほか、2016年に1軍登録(出場?)があった選手ひとりひとりの入団以来の1軍での記録が載っていて、わたし的にはこれがとても楽しいです。あの選手は前どこにいたんだっけ?なんてのをおさらいしてみたり。

毎日3行分くらい、その日の出来事が書かれているコーナーがあって、そういえばそんなことがあったなあ、と振り返るのもまた楽しいと思います。読書向きの本ではないかもしれないけれど、プロ野球好き・データ好きの方にはぜひおすすめの1冊です。おすすめというか、必帯の本かもしれません。

昭和プロ野球を彩った「球場」物語

こちらは最近読んだ本の中で一番のヒット。いやー、昭和の懐かしい球場ばっかり出てきます。球場が作られたきっかけや、そこで生まれた名場面の解説が詳しく載っていて、また当時の新聞記事の写真もあったりして心が躍ってしまいます。なので今のドーム球場についてはほとんど触れられていないです。

ここに載っていて実際に野球観戦した球場は

  • 甲子園球場
  • 藤井寺球場
  • ナゴヤ球場
  • 宮城球場

甲子園と宮城球場は今も現役だけど、開業が古いから…ということみたいです。

ここに載っていて野球は観ていないけど建物の前まで行ったことがある球場は

  • 広島市民球場
  • 西宮球場
  • 日生球場
  • 大阪球場
  • 川崎球場
  • 横浜スタジアム

数えてみたら結構出かけてました。もはや野球好きなのか、球場好きなのかよくわかりません。チケットないけど球場に行ってみよう、というお出かけを何度したことか。そういえば埼玉に住んでいた頃、大宮開催の西武の試合を見に行ってました。西武ドームとは違った、地方開催試合のような雰囲気の中での観戦はなかなか味があって良かったです。

今シーズンはぜひとも大阪ドームに行きたい!と思っているのですがどうなることやら。ホークス主催試合を狙うか、素直にオリックスを応援するか。あと、東京ドームの鷹の祭典にも行かなくては。などと毎年同じことを考えているのに実現できずにいます。

読書メモ【いつもの献立がごちそうになる!新・家めしスタイル】

こちらの本はレシピ集ではなくてアイディア集といってもいいでしょう。家にある材料ですぐ出来そうな、おいしそうな写真がたくさん。

なぜアイディア集かというと、食材と使う調味料は書かれているけれど分量の記載が一切ないのです。「日常の料理はそのとき揃うものを使い、味付けはお好みで」というコンセプトに従っています。

1つの素材から7種の味

「今日の晩ご飯は何にしようかな」と考えるとき、カレーライスやハンバーグなどのレシピを最初に決めるのは間違い。レシピを先に決めちゃうと、「あれれ、玉ねぎがないから買ってこなきゃ」「しまった、カレールーを切らしてた…」などど足りない材料を買いに行かなきゃいけなくなってしまい、面倒です。

野菜が1種類しかなくても工夫次第でいろんな料理を作ることができるのです。そのときに大切なのは味付けのバリエーションを考えること。ここではなすとじゃがいもを例にして7つの味の料理が展開されています。

  1. 甘い(甘辛い)
  2. クリーム味:牛乳・生クリーム・チーズなど
  3. 味噌味
  4. 酸っぱい:酢・柑橘・トマトなど
  5. カレー味
  6. 醤油味
  7. 塩味

何品も作るときは同じ味のものが重ならないように心がけるとよいそうです。献立を考えるときの基本の柱は食材でなく味付けなのですね。ちなみに「和風や中華風などが混ざっていても違和感がない」とありますが、私はそういうスタイルのごはんが好きなので、「家めし」はいつもそんな感じです。

記載されている料理はメイン・添えのおかず・麺類から汁物まで幅広くカバーされています。ざっと見たところでは野菜料理が多い印象で、これは「肉料理は外で食べることが多いから家では野菜中心のごはんが食べたい」という著者のスタンスを表しているようです。

冷や汁

冷や汁っていうと「あじの干物を焼いてむしってすりこぎで潰して…」とか面倒なことが料理本に書いてある。でもそんな暑そうな面倒なことを真夏のお昼ご飯にしたくない。

そのとおり!
冷や汁を食べたいときというのは「ぱっと作ってささっと食べたい」状況だと思うのですが、実際にいろんなレシピを探してみると「ぱっと」作れそうなものはなかなか見つかりません。手をかけて作って数分で食べ終わるメニューの代表例なのでは?

この本に出てくる冷や汁はきゅうりとニラだけを使ったお手軽バージョン。どうしても魚が食べたければ別途焼き魚でもお刺身でも用意すればそれでいいのではないでしょうか。まだ作ってませんがこれはおいしそうです。

まとめ

家に肉や魚がなくても、にんじんしかなくても。「買い物に出かけずにあるもので料理をしようかな」そんな気分になります。レシピの分量にとらわれない「料理の愉しみかた」を教えてくれる、とても楽しい本でした。

読書メモ【フランス人は10着しか服を持たない2】

フランス人は10着しか服を持たない2

フランス人は10着しか服を持たない2

シックってどういうこと?

だからもちろん、あなたもシックになれる。情熱的で豊かな、柴らしい人生を送ることができるのだ。身だしなみも美しく、心おだやかに、1日を過ごせるようになる。すべて思いどおりにはならなくても、暮らしのなかに喜びを見出せるようになる。

留学中のパリで滞在したマダムの家でカルチャーショックを受けた様子を綴った前作は、日本でもベストセラーになりました。

パリからアメリカに戻り家庭を持った筆者は、次々と押し寄せてくる現実のあれやこれやにただ流されるだけの日々を送ります。

ところが、カリフォルニアへ戻った私の生活ときたら、素敵どころか、ひどいていたらくだった。あのころもし、マダムがわが家の寝室や、リビングや、車のバックシートのありさまを見たら、いったい何と言われたことか…。

「パリのマダムならこんなときどうするのか?」生活を見直して奮闘する様子を描いたのが『フランス人は10着しか服を持たない2』です。

時間を区切って片付ける

毎日無理なく続けられるように、時間を区切って片づけよう。そうすれば、片付けもだんだん楽しくなってくる。1日15分でもいいし、1時間もできたらすごいこと。
時間を区切って片づけるのが苦手なら、片づける場所を決めて、1日に1ヵ所ずつ片付けるのもいい。片付ける習慣が身についてくると、散らかっている場所がやたらと目につくようになる。

時間を区切って集中的に作業を行うメリットは、片付けだけでなく他のことにも当てはまると思います。「今日は8時間かけてこの作業をしよう」と決めてスタートするよりも、時間と作業内容を細かく区切って考えたほうが効率が良いですね。

目標は小さい方が全体の進み具合がわかりやすかったり、集中力やモチベーションが続きやすかったりしますね。私の場合は[およそ1時間ごとの目標を設定して作業し休憩する]、これを作業のボリュームに合わせて繰り返します。

作業というと仕事のことを思い浮かべがちですが、例えば長時間続けると疲れすぎて1日が終わってしまう草取りなどにもこのパターンは使えます。「今日は草取りの日」などと事を大きく考えすぎるとなかなか手を付けられませんが、「1時間だけ」と思えばわりといつでも気軽に始められます。

食事のこと、ファッションのこと

前作に比べると生活全般のヒントが多く、タイトルから期待される内容とはちょっと違うような気がします。「手間をかけずにおいしい食事のヒント」や、前作のおさらい「少ない服でシックに装う」についてたくさんページが割かれています。食事に関しては好みもあるでしょうし、著者がおすすめするファッションを「シンプルで真似したい!」と思うか、「けっこうたくさん服があるのね」と思うかは人それぞれでしょう。

まとめ

「シックな生活術」という視点でとらえるなら、食事に関しても、片付けに関しても、すでにその種の本を読んでいるならそれほど新しいトピックは見つからないかもしれません。

何かを得ようと読むのではなく、「あの本を書いた人は今どうしているのかな?」と、知人の近況報告を眺めるような、そんなスタンスで読むと楽しめるのではないでしょうか。内容とは関係ないですが、私はこの装丁が結構好きです。タイトルのフォントやイラストがかわいいし、きれいなグリーンもあまり見かけない感じなので。

読書メモ【都市と星(新訳版)】

久々のアーサー・C・クラークでございます。

アーサー・C・クラーク 都市と星

そのむかし、人類はいくつもの都市を築いたが、このような都市は他の類例を見ない。なかには何世紀も存続した都市もあるし、何千世紀も存続した都市もある。しかし結局は、どの都市も大いなる時に押し流され、名前さえ失ってしまう。そんななかで、ただひとつ、このダイアスパーだけが ”永遠” に挑み、みずからを護りぬき、歳月によるゆっくりした摩耗、経年変化による老朽化、錆びによる劣化などに抵抗しつづけていた。

未来の地球上の都市ダイアスパー。都市の全ての機能がドーム球場の中で完結しているイメージです。そして住民は球場の外には別の世界があることは知らず、地球上にはダイアスパー以外の世界は存在しない(その昔存在したことは知っているが)と信じてここで安心して暮らしています。すべての機能を取り仕切るのは<中央コンピュータ>と呼ばれるコンピュータ。都市のインフラ整備を始め、住民の生死にかかわることまで中央コンピュータがコントロールしています。

主人公はアルヴィンという名の若者です。彼は常々「外にも別の世界があるはずだ、外の世界が見てみたい」と考えていて、友人や教師からたしなめられながら日々を過ごしていました。しかしあるときダイアスパーを飛び出し地球上には他にも都市がある事実を知ることとなります。

知性と肉体の分離

物語の後半に肉体を持たず、知性のみで生きている種族が登場します。「肉体を持たず知性のみで生きている」ものに遭遇したことはないのでその状況は想像するしかないのですが、人工知能は「肉体はないけど知性はある」もののひとつかもしれないと思いました。

人工知能はコンピュータという物質とは切り離すことはできないけれど、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という意味での「肉体」は持ちません。今現在は人間の方が知的レベルは高くても、何十年スパンで考えれば特定の分野においては人間よりずっと高次の知能を持っているかもしれませんね。この小説は1956年発表なのでそれから60年。SF世界の出来事が着々と現実のものになりつつあることがわかります。

ダイアスパー市民の寿命はおそろしく長くて何千年・何万年も生きるのですが、その間ずっと人間のように暮らしているのではなくて、時々「眠り」と呼ばれる休息の時間を過ごします。眠っている間は精神は肉体から切り離されメモリーセルという場所に保存され、肉体は捨ててしまうようです。そして再び時が来ると<中央コンピュータ>が新しい肉体にメモリーセルから取り出した精神をセットします。人生の続きが始まるのです。

とすると、『生きている』ことの証明は、その知性が利用可能状態かどうかで判断するということでしょうか。わかったようなわからないような、難しいです。今までの知識の中だけで納得しようとするから混乱するんでしょうね。

映像を見たい

ダイアスパーに行ったことはないし、宇宙空間にも出たことがないから(あたりまえだ)今までに見たニュース映像や映画のシーンから場面場面を想像して読むわけです。そうすると頭の中で再生される映像はどうしたって既視感があるものしか登場しないので、アルヴィンが新しいものに次々と遭遇した時の感動に比べて自分の感動は薄いような感じがします。なんとなくもったいないです。

【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】- 先に原作を読んでから「あの場面はこんな風に!」といちいち場面の再現に感動しながら映画【ブレード・ランナー】を見ました。そのときのようにこの【都市と星】の映像が見たいです。誰かこの映画を映像化してくれませんかー。未知の世界を私も体験したいのです。

小説の中ではSFが一番好きです。ハヤカワ文庫ばんざい。